2025.08.20
仕事
【 一番期待されてなかった男の逆転劇 】 採用責任者・高瀬颯太
こんにちは。
tttで9月より本社採用を担う高瀬です。
これまでは有料老人ホームたいよう/
ペリキュール訪問看護あわせて、
24拠点の採用責任者として、
各施設・拠点の充足率と採用数を目標に
採用の流れを設計していました。
そんな僕の入社当時について、
最初に少しだけ話をさせてもらいます。
入社当初、僕は社内で
“一番期待されていなかった”新入社員でした。
初めて副社長と飲みに行った席で、
「質問ある?」と聞かれた際、
僕はこう聞いてしまったんです。
「血液型、何型ですか?」
場が凍るほどではないけれど、
確かにめちゃくちゃ“ズレていた”。
いま思い返しても冷や汗が出る “黒歴史”です。
にもかかわらず、最初に割り当てられたのは
春日館のオープニング採用と、
採用難易度が高い城南区の 片江館・油山館の
面接担当でした。
任された当初、
僕は 「必ず結果を出して、見返したい」
という思いを強く持っていました。
僕はとことん負けず嫌いで、
競争環境だとより力を発揮できると感じます。
ここからは、入社当初一番期待されなかった僕が
採用責任者を任せてもらえるまでに
どんな考え方を持っていたのか、
僕の人生をもとに簡単に紹介させていただきます。
1|負けず嫌いの原点
—小学生の持久走大会で覚えた「勝ち筋」
2000年、熊本・南阿蘇村生まれ。
僕の性格の“芯”は、小学校の持久走で
6年連続1位の経験からできました。
持久走大会では毎年1位を争う勝負どころで、
コース脇から親の声が聞こえてきました。
「負けんな! 絶対に抜け!」
友達に抜かれたら、必ずもう一度抜き返す。
呼吸は乱れて走るのをやめたいくらいキツいのに、
心が決まると足どりが軽くなる。
そして、ゴール前の直線は必ず独走で駆け抜ける。
—“最後まであきらめず、
必ず最後には 友達の前を走っている”
結果を出すための勝ち方はここで学びました。
余談ですが、幼少期の僕は
報酬があればより良い結果を出すタイプ。
テストのご褒美、運動会の徒競走で
1位になったらご褒美など...
結果が明確に出るものだと火がつく子どもでした。
この性質は、「目標がクリアだと爆発的に伸びて、
必ず最後には結果を出す」
自分の扱い方につながります。
2|中学の“オレ様期”
——熱の向け先を学ぶ
学級委員、生徒会副会長、体育祭副団長など
目立つポジションには自分から挑戦しました。
記憶力にも恵まれ、勉強は学校の授業を聞くだけ。
それでもテストは学年上位が当たり前。
「やれば自分には何でもできる」
そう信じ込んでいました。
ただ、その自信の熱の向け先を誤ると、
周りに迷惑をかけてしまうと学びました。
サッカーをしていた僕はクラブチームに所属。
熊本県のTOPリーグ戦でチーム内の得点王(10点)。
残留をかけた試合では2得点を決め、
チームを残留に導きました。
ただ、中学最後の試合、
審判の判定に抗議して退場。
その時の仲間や監督の表情を忘れません。
試合後は監督にすごく怒られ、
その試合もチームは敗戦。
本当に後悔しました。
ただ、試合後監督に呼ばれ、
「最後は残念だったけど、
お前がいなかったら残留はできなかった。
この一年間のMVPはお前だよ」
と声をかけてもらいました。
結果を出すだけじゃダメなんだ。
この時から僕は、
結果を出すための熱の向け先は
常に“自分に向け続けること”を意識しました。
3|強豪校で折れた自信を、設計し直す
高校はサッカー全国大会常連の大津高校へ。
常に結果が求められる環境でした。
入学直後、先輩や同級生との実力差に打ち砕かれ、
人生最大の挫折を味わいました。
背は高くない、足も速くない。
自分の身体能力を恨み、家でも無口に。
鬱っぽかったと家族に言われるほど
落ち込みました。
そこで僕は目標を
「プロ」から 「全国大会のメンバー入り」に
再定義。
誰よりも練習中に声を出し、
泥だらけになりながら3年間続けました。
2年後半からはBチームの主将を任され、
100人規模のチームを束ねる立場に。
少しずつ結果が出始め、
Aチームにも呼ばれるように。
最後の選手権で初のメンバー入りを果たしました。
小学生で培った「最後まであきらめない原点」が
ここでも発揮できました。
総監督にかけられた3つの言葉、
「24時間をデザインする」
「迷ったら苦しい方へ」
「苦しい時に君は笑えるか」 は
今の仕事の意思決定にも生きています。
4|大学で出会った
今の仕事につながる“マーケティング”
大学は熊本県立大学に入学。
大学では、公務員志望から一転、
研究室選びをきっかけにマーケティングに
出会いました。
地域の工芸・農業の活性化に関わる商品開発に携わり、
企画はテレビや新聞にも掲載。
ここで体得したのは、
“仮説 → 実装 → 計測 → 改善。”の
サイクルを回すこと。
「当たり」を祈るのではなく、
自分で当たりを作る手順を学びました。
そして、大学での経験は、
「より良いものを多くの人に届けたい」 という
今の自分の夢にもつながっています。
5|また来たか「tttと強豪校の共通点」
—評価は、すべて結果で語る
大学を卒業して、新卒で入った会社は
3か月で一人前に。
プロジェクトの責任者を任され、
何もかも楽勝だなと感じていました。
そして、自分で自社の採用をしたいと思い、
tttに転職を決めました。
tttは自分と同世代の人たちが
「課長」「部長」にいるのが当たり前。
“結果を出せば必ず評価につながる”
そんな環境にワクワクしました。
最初、面接担当を任せられるとなった時、
上司と何度もロープレをしました。
その時、楽勝だなと感じていた社会人生活の
鼻っ柱はすぐに折られました。
最初の1か月で何度もくじけそうになりました。
それには理由があるんですが...
気になる人は面接で(笑)
ただ、その1か月でしっかりと
面接のことを叩き込んでもらいました。
そして僕は春日館のオープニング採用、
採用難易度が高い城南区(片江館・油山館)の
面接担当に着任。
面接で採用を決めて職員が働きやすい環境を作る。
自分の出した結果が施設全体に影響する。
そんな責任のある仕事を任されました。
裁量・権限が与えられるのは知っていましたが、
常に結果が求められる環境に直面。
「この感覚、また来たか」
少し怖さもありましたが、
結果で必ず証明したいと思いました。
そこからは勢いのまま結果を出し続け、
2024年3月〜7月で11月オープンの春日館
全職種充足率80%超を実現。
ここで、期待されていなかった自分を
少し見返すことができました。
副社長が主催する研修参加の機会も増え、
マーケティング案件の出張(大阪)にも
同行しました。
入社して半年後くらいに当時の人事から
「高瀬さんが1番期待されてなかったね(笑)」
とも言われました。
でも、自分で出した数字(結果)は
確実に評価されます。
面接で結果を出した自分は、
会社でも専門性を持っている人が少ない
【採用マーケター】に抜擢。
期待されていなかったとしても、
少しの可能性にかけて
打席を与えてくれる環境がすごくありがたいです。
6|僕が「たった1応募」に
こだわり続ける理由
採用マーケティングを任されてからは、
正直、真っ暗闇の日々。
人生2度目の挫折でした。
何をしたら結果が出るのかまったく分からない。
結果が出ない自分が情けなくて、
大人ながら何度も泣いてしまいました。
でも、任せられた期待に応えたい。
tttで憧れた2人と早く肩を並べたい。
そんな思いでマーケティングに
のめり込みました。
そして死に物狂いで取り組み続け、
マーケティングをはじめ約3か月後。
自分が戦略から原稿・導線まで設計して、
“狙って取りに行った”職種で、
狙い通りの1応募が取れました。
媒体名は覚えていませんが、
その時の情景は鮮明に覚えています。
仕事帰り、スマホの通知が「ピコん」と鳴る。
狙った職種の応募通知。
tttに入って初めて、
悔し涙じゃない“うれし涙”が出ました。
偶然の10ではなく、 意図して獲った「1応募」。
その「1」という数字の裏には、
一人の人生を決める決断があります。
だから僕は、 1応募・1面接を
誰よりも丁寧に扱うと決めています。
7|僕の採用観 —
“相手の感情”からすべて逆算する
僕は求人も面接も、
相手の感情から逆算します。
きれいすぎる言葉は届きません。
多少ラフでも「生の言葉」を選びます。
それは求人原稿でも面接でも同じです。
ちゃんと相手に伝わる言葉を選び、
相手の感情に届く言葉を選び続けます。
そして求人や面接で出た結果は、
自分に腹落ちするまで言語化します。
だって、自分が理解できないものなんて
相手に伝えようとしても伝わらないから(笑)
8|これから面接で出会うあなたへ
tttには、考えを持ってバットを振る人には
必ず打席が回ってくる文化があります。
僕は“期待されなかった側”から、
打席を重ねてここにいます。
そんな自分にもチャンスをくれるのがttt。
そして結果を残せば、
さらに打席を増やしてくれるのもttt。
打席があってもホームランは要りません。
ファウルで粘り続けていいんです。
最後にどんな形でもヒットが打てれば、
ホームランが打てるまで
打席を回し続けてくれる環境がtttにはあります。
面接では、あなたのこれからの
人生の勝ち筋を一緒に考えましょう。
1応募、1面接——その一回を、
僕は最大化してあなたに返します。

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