2026.04.08

机もない、給料も未定。それでも「ここで働きたい」と決めた私が、tttの激動の現場で見たもの


自己紹介|管理部 川添

管理部門責任者の川添です。

私は息子が3人おりまして、上のお兄ちゃん2人はもう結婚しています。
もう1人はまだ独身で、元気にやってます。

子育ての時期は、とにかくサッカー漬けの毎日でした。

「365日」って言っていいほど、毎日サッカーのグラウンドに通ってました。
小学校から高校まで、雨の日も暑い日も、とにかく応援。
息子たちが走り回る姿を見るのが生きがいのような日々でしたね。

今はというと、旅行に行ったり、韓ドラを見たり、温泉に浸かったり。
韓国にも何回も行ってます。
子育てが一段落して、ようやく自分の時間を楽しめるようになった、そんな生活を送っています。


医療事務20年のキャリアを捨てて、介護の世界へ飛び込んだ理由

職歴についてお話しすると、病院で医療事務をだいたい20年ぐらいやっていました。

医療の現場には長くいたので、そこそこのキャリアは積んでいたと思います。
でも、まさか自分が介護の世界に飛び込むことになるとは、当時は想像もしていませんでした。

きっかけは、本当にささいな「つながり」からでした。

おばさんの入居がつないだ、社長との出会い

うちのおばさんが、tttの本館に入居していたんです。

そのご縁で社長と社長のお母様と出会いがありまして。
ある時「2号館を建設するよ」という話を聞きました。

気になって、行き先の駅前にある建設途中の建物を見に行ったんです。
まだ完成もしていない、工事中の姿。

でも、その時にお母様へ直接聞いてしまったんです。

「事務員さん、採用されますか?」

返ってきた答えは「まだわからない」「何も決まっていない」。

それでも、「採用するんだったら面接してほしいです」とお願いして、
本館の方で面接をさせていただくことになりました。

「何も決まってないけど、それでもいいですか?」「はい。退職してそちらで働かせてください」

面接に行かせていただいたんですけど、言われたことは驚きの連続でした。

給料も決まってない。
何時から働くのかも決まってない。
何月からスタートするのかも決まってない。

普通だったら不安になりますよね。
条件が何も見えない中で「働きたい」なんて、冷静に考えたらおかしいかもしれません。

でも、その時の私にはなぜか迷いがなかったんです。

「それでもいいので、働かせてください。」

「本当にいいの?」と聞かれました。

「はい。もう病院を退職して、そちらで働かせてください。」

口頭だけのお約束。書面も条件も何もない。
入職する3ヶ月ぐらい前の、口約束だけで決まった入社でした。

今思えば無謀だったかもしれません。
でも、「ここで何かが始まる」という直感だけは確かにありました。


2号館オープン初日。机がない、情報がない、何もない

8月オープンの予定だった2号館が、1ヶ月前倒しで7月にオープンすることになりました。

本館にいらっしゃった利用者さんをすべて2号館に移動してからのスタート。
同期になるのは浜崎の施設長河原さん。歩美さん、久木田さんは以前からいらっしゃった職員さんでした。

前倒しオープンだったので、準備が追いついていませんでした。

机もなかったんです。

「これ、どうなるんだろう」。正直、そう思いました。

突然のピンポン。「どなたですか?」から始まった入居対応

そう思った矢先、突然ピンポンが鳴りました。

入居者さんが突然来られたんです。

でも、利用者情報が手元にない。
**「どなたですか?」**と聞くしかありませんでした。

ご本人にも「おつかれさまです」とご挨拶して、
「とりあえずどうしたらいいですか?」と聞いたら、
「保険証をもらってきてください」と言われました。

保険証をお預かりして、「この方が来られました」と伝えたら、
**「誰?」**って。

そうやって、一人ひとりの入居が始まっていきました。

訪問診療の先生にも来ていただきながら、なんとか対応する日々。
机がないので、家からボールペンを持ってきて、床に座って書類を書いていました。

すると訪問診療の先生に「机ぐらい買ってもらいなさい」と言われまして。
そんな中でのスタートでした。

フリーダイヤルのお姉さんと友達になって、全部自分で覚えた

医療事務の経験はありましたが、介護の世界は全くの未経験。

ケアプラン、計画書、アセスメント。
そんな言葉すら聞いたことがなかった。

介護保険の請求システムである「カイポケ」の仕組みも全くわからず。
利用者情報の入力の仕方も、請求のやり方も、ゼロからのスタートでした。

社長からは一言。

「カイポケのお姉さんとお友達になるしかないです!川添さん。」

フリーダイヤルに電話して、そこのお姉さんと仲良くなりました。
本当に全部教えていただいて、全部自分で聞いて、全部自分で解決しました。

もう一生懸命、自分でやるしかなかったです。

そんな中でも2号館の立ち上げは進み、満床になるまで2〜3ヶ月で終わったような気がしています。
有田と浦田館が4月、遠賀館が8月、浜崎館が9月のオープン。
怒涛のスピードで施設が増えていく日々でした!


コロナ、そして別れ。「行ってきます」と手を振ったおばさんが帰らなかった日

その後、世界を揺るがしたコロナが発生しました。

志村けんさんが亡くなった時期とちょうど同じぐらい。
コロナというものが何なのか、まだ誰もわからなかった頃です。
なぜ熱が出て、なぜバタバタと倒れる人がいるのか。理解が追いつかない日々でした。

2号館が、まずコロナになりました。

どんどん酸素が足りない人が出る。
職員さんも一人、また一人とお休みに入り、いなくなっていく。

これは緊急事態だ。近くに住んでいた私が行くしかない。
そう決めて、2号館に入りました。

そんな中、あの最初からいたおばさん——私がtttと出会うきっかけになったおばさんが、2号館に移ってきていました。

容態が悪化し、救急車で搬送されることになった時。

苦しそうにしながらも、「行ってきます」と手を振ってくれたんです。

その4日後、おばさんは亡くなりました。

お葬式にも行けませんでした。
職員さんもいない。利用者さんは皆さんいらっしゃる。
どんどん感染が広がっていく。

救急車を呼んでも中に入ってきてくれない。
まるで汚染物扱いのような対応をされたこともありました。

それでも、残りのスタッフで「どうにかやるしかない」。
そう言い聞かせて、乗り越えました。

毎日来てくれた糸島クリニックの先生。あの時の感動は忘れない

その時に一番感動したのは、糸島クリニックの先生が毎日来てくださったことです。

自分の担当の利用者さんだけじゃないんです。
全ての方を診てくださいました。

入院させることもできない状況の中で、
とりあえず解熱剤を出していただいて、
酸素が足りない方には酸素の機械を持ってきていただいて。

施設の中でひたすら熱が下がるのを待つ。
そんな日々を支えてくれたのが、あの先生でした。

あの時の感動は、今でも忘れられません。

なぜか私だけはコロナにかからなかったんです。
理由はわかりません。でも、かからなかったからこそ、現場に立ち続けることができました!

他にもまだまだたくさん、語りきれないエピソードがあります。
全部話したら何時間あっても足りません(笑)


課題に感謝する。ゼロからの私を育ててくれたのは、人とのつながりだった

こうして振り返ると、本当にいろんなことがありました。

机もない2号館のオープン。
何も知らない介護の世界へのゼロからの挑戦。
コロナという未曾有の事態。
大切な人との別れ。
次から次へと飛び込む緊急対応。

いろんな課題にチャレンジしたな、と思います。

そして何より感じるのは、
いろんな人とのつながりで、私の人生はできているということ。

社長のお母様との出会いがなければ、tttに来ることはなかった。
カイポケのお姉さんが教えてくれなければ、請求業務を覚えることはできなかった。
糸島クリニックの先生が毎日来てくれなければ、コロナの現場を乗り越えられなかった。
運営部の郡くんや施設長の皆さんがいなければ、今のような体制は整わなかった。

「課題に感謝する」。これはtttの企業理念ですが、私自身が心からそう感じています。

課題があったからこそ、成長できた。
ゼロからの始まりだったからこそ、介護保険制度のことも少しは理解できるようになったし、
医療と介護のつながりについても勉強になりました。

ここで出会った皆さんとの出会いを大切にして、
これからも頑張っていこうかなと思っています。

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