2022.01.17

経営者コラム

#03 曖昧さは本能だが、課題解決では壁になる

#03 曖昧さは本能だが、課題解決では壁になる

 

 

人の顔を思い出そうとするとき、頭に思い浮かべることはできている気がします。では、それを紙に描きだそうとすると途端に難しい。描いたとしても、おそらく私の絵は本物と大きく異なります。たとえ相手の顔を見ながら描いても同様だと思います。

※上記の画像は社員さんの似顔絵に実際に皆で挑戦したときのものです。1人上手な方もいました(笑)

 

 

「1人でも多くの人が課題解決を狙ってできるようになるには」と考えていたときに、ふと当たり前すぎるこの現象についてなぜなのかと疑問に思いました。

 

 

結論、自分としては思い浮かべている、見ているということ自体が実は「なんとなく」でしかないからだと思います。

 

 

本物に見違えるほどの絵が描ける玄人は、この「なんとなく」という自身の脳の認識のズレに気づいていることから、ズレないよう解像度高く見ることができているのでしょう。それができれば、あとは描くというペンを使った手の運動との連携がとれていれば、まるで実物のような絵を狙って描くことができる。

 

 

普段絵を描かない私のような素人は、日常目で見ているものがおそらく、いや確実に「なんとなく」です。それは良しとしても、なんとなくだと自覚できていないことは厄介です。視覚に限らず、五感や考えるとき、運動でさえ同様な気がします。

 

 

では、人はなぜこのように曖昧なのでしょうか。

 

 

結局は、脳の処理を軽くして、生きる負担を減らしているからだと思います。正直、無自覚で曖昧に捉えていても大抵の人は生きていけます。

 

 

物事を解像度高く捉えること、それをじっくり考えることは正直辛い行為です。振り返れば、私も受験や研究、仕事でも何度もその経験があります。

 

 

 

敢えて脳の処理量を増やし、苦痛を増やす行為は生体的に理に適っていないのかもしれません。

 

 

最近流行りの心理学、神経科学(脳科学とも言われる)、行動経済学という分野を勉強するほど、人間の曖昧さ、脳の不完全さには驚かされます。でもだからといって、「曖昧に捉えていてはダメだ」と他人を否定しようとは今では思いません。それが人であり、自然だから。私だって自覚の無いところにきっと多くの曖昧さが潜んでいるのだから。

 

 

p.s.

 

ただ、仕事でもスポーツでも、結果を求める場合では話は別です。目の前に課題があったとき、確率高く狙ってそれを解決するときは玄人の絵描きのように高い解像度が求められます。

 

 

仕事ではもちろん相手の力量と状況の必要性に応じて、結果に繋がるように他者の曖昧さは指摘します。この指摘が相手にとって辛いことは重々承知している分、こちらも辛いものがあります(笑)

 

 

指摘しない場合と指摘した場合で、どちらがより相手・組織・自分の三方ともにとって良いか。なおかつそれは、短期的でなく長期的に良いか。マネジメントも曖昧ではなく、具体的に捉え、常に考えるからこそ有意義なものになります。

実際に人が成長する姿を見れる分やりがいも大きいが、それゆえにたまにどっと人に疲れます。これは何をしている時の気分に似ているのだろうか。難解な数学の場合分け問題や証明問題を解いている気分でした。

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