2026.10.13
仕事
ドラマのような人生を。ーいつか、ここで出会ったことを自慢してください。ー
波風の立たない、平穏な毎日を、だれも「ドラマ」とは呼びません。
「そんなことしなくて良いから」と挑戦を止められる。
好き嫌いで態度が変わる上司の顔色をうかがう。
上層部のあやふやな指示に流され、毎日決まったレールの上を無難に歩く……。
もしあなたが今、そんな環境でくすぶっているのなら、最初に僕の本音をぶつけさせてください
僕は、誰かが準備した「綺麗な環境」や「安全なぬるま湯」が昔から大嫌いです。
そして、「環境に期待して、誰かに手取り足取り育ててもらおう」とする受け身な人も好きではありません。
僕自身、人生で一番胸が震え、生きてる手応えを感じたのは、何もない、むしろマイナス直滑降の泥沼から、自分の手で壁をぶち破ってきた瞬間でした。
科学(脳や心理の仕組み)から見ても、人が眠っていた力を爆発させて「自分の人生、やり切った!」と腹の底から思えるのは、何も起きない平和な道より、波乱万丈で試練だらけの道を選んだ時です。
なぜ僕たちが、採用メッセージの先頭で「ドラマのような人生を」と叫び続けるのか。
僕自身の激しすぎる失敗と修羅場のストーリー、そして科学のロジックを通して、そのすべてをお話しします。

開港式当日に船が事故り、すべてが沈んだ日
人間の脳は、予定通りの安全な日常にいると「省エネモード」で動きます。
しかし、自分の想像を超える出来事に直面した瞬間、脳のスイッチが強烈にオンになります。
僕の人生は、まさにこの「想定外」と「計画の崩壊」の連続でした。
佐賀県白石町という、一面田んぼの町で生まれた僕の最初の挫折は、大学入試でした。
第一志望に落ち、失意の中で進学した大学。
偏差値を落として選んだ大学で、最初の授業を受けた瞬間に「ここで学ぶものは何もねぇ」と強烈な不足感と違和感に襲われました。
(心の声:まじか。やらかした。高校でやった勉強をまたやるの?意味ないやん)
「何かしないとヤバい!!」居ても立ってもいられなくなった僕は、在学中に塾・家庭教師や地域活性化事業の一環としてベーカリーカフェ2店舗を勢いで起業しました。
卒業後、「このまま事業を拡大してやる」と息巻いていた22歳の時、某テーマパークと提携して「船上レストラン」という大きな勝負に出ました。
ところが――開港式当日に事故が発生。事業は即、終了しました。
(心の声:頭が真っ白。関係者に頭を下げまくりながら「俺の人生、22歳で終わった……」と本気で絶望しました。)
本当に、絶望。
計画は一瞬で崩れ去りました。
ですが、ドラマはここから始まりました。
その事故現場に偶然居合わせたお客さんが、なんと「介護会社の役員」だったのです。
その縁からヘッドハンティングされ、僕は23歳で右も左もわからない未知の介護業界へ飛び込むことになりました。
人生のドラマは、いつだって「思い通りにいかなくなった瞬間」から動き出します。
既定路線を捨て、あえて未知の環境へ飛び込むからこそ、脳にスイッチがはいり、誰も持っていない「圧倒的な適応力」を手に入れることができるのです。

風呂場で寝ながら考えた「5000万円の逆転劇」
予期せぬ変化でスイッチが入った脳は、次に何を引き起こすのか。
それが、極端な環境下で発揮される「革新的なアイディア」と「粘り強さ」です。
25歳で介護の現場が抱える強烈な課題に直面した僕は、古民家を借りて利用者さん7人と同居を始めました。
「お金がないから施設に入れない」という課題を目の当たりにし、居ても立ってもいられなかったからです。
しかし、当時はまったく理解されませんでした。
地域包括支援センターや市役所に呼び出され、「若い兄ちゃんが変なことしてるぞ。大丈夫なのか?」と怪しまれる日々。
早く老人ホームを建てたい!と資金作りを目的に挑んだ運送業など2事業はたった半年で撤退し、僕に待っていたのは「2年間の風呂場生活」でした。
(心の声:風呂場にべニアシートを置いて、布団を敷いて寝る毎日です。ちなみに、脱衣所は洗面所があって介護動線上使えませんでした。 そんな中、友人の結婚式に参加したときは、まともに生活すら出来てない自分が情けなくて、悔しくてたまらなかったです。)
ですが、この極端な窮地があったからこそ、奇跡が生まれます。
29歳の時、いざ老人ホームを建てようとするも、銀行から提示されたのは「5000万円しか出せない」というシビアな条件でした。通常、施設を建てるには到底足りない金額です。普通ならここで諦めるでしょう。
けれど、風呂場生活まで経験して打たれ強くなっていた僕の頭は諦めませんでした。
「お金がないなら、知恵を出せばいい」
設計や現場の動線をゼロから徹底的に見直し、徹底的なコストカットを断行しました。
こうして完成したのが、現在のtttを象徴する『たいようモデル』(地域最安水準の利用料×地域最高水準の給与待遇)です。
3ヶ月に1回、会社が潰れかけた5年間
しかし、僕のドラマはそこで終わりませんでした。
ここまでは、いわば序章に過ぎません。

30歳で本格的に事業展開を開始してからの5年間は、まさに映画以上の怒涛の展開でした。
3ヶ月に1回のペースで、会社が傾くような経営危機が発生したのです。
●100(住民)対 1(社長)の住民反対運動
2号館開設時、地域から猛反対を受け、公民館に100人くらいの住民が殺到。
(心の声:僕1人に対して、怒号が飛び交う会場。あの時は本気で胃が千切れそうでした。)
逃げずに3ヶ月かけて一人ひとりと対話し、最終的に全員を「賛成」へひっくり返しました。
●開設直前の「職員ストライキ」
現場の準備が追いつかず不満が爆発。崩壊寸前の現場で僕が語ったスピーチは、後に社内で「魂のプレゼン」と呼ばれる伝説になりました。
※ストライキは、寸前のところで回避できました。
●コロナクラスターの恐怖
「現場から職員がいなくなる」という恐怖と、リアルな「死」との直面。
極限の状態で戦い抜いたこの危機が、本社と現場の壁を取り払うきっかけになりました。
●崖っぷちの1ヶ月満床営業
「定員80名のホームを3ヶ月以内に満床にしなければ資金ショート」
という大ピンチ。部下に任せて失敗したため、経営陣自らが動き、わずか1ヶ月で満床にして会社を救いました。
(※この経験から、「部下に最大の権限を渡し、失敗しても経営陣が絶対になんとかする」という失敗許容のカルチャーが確立されました。)
●事業撤退期限の10日前
訪問看護の在宅営業が上手く行かず、黒字化出来ない。
撤退期限が迫る中で起死回生で編み出したのが
「自費0円サービス」でした。これが現在、他社を圧倒するttt独自の強力な武器になっています。
●幹部退職による組織崩壊と「社長 vs 幹部」の衝突
会社を次のステージへ引き上げる時、「実力が伴っていない」と断じる僕と、「任せてほしい」と願う幹部が激突。しかし、この痛みを伴う衝突があったからこそ、圧倒的に優秀なCXOが参画し、組織はかつてないスピードで前に進み始めました。
ただ大変だったわけではありません。
僕たちは、修羅場をくぐり抜けるたびに、最強の仕組みと本物のカルチャーを手に入れてきたのです。
「もう、綺麗事はいらない」原点回帰と最高の仲間
2026年(36歳)、「青年版国民栄誉賞グランプリ・内閣総理大臣賞」を受賞し、福岡市ハイグロース企業にも採択されました。

勢いに乗り「これまでのノウハウを社外に広めよう」とコンサルやAI事業に挑みましたが、社内体制が追いつかず大失敗。
新規事業をすべてキャンセルし、中期計画を白紙に戻すことになりました。

(心の声:完全に調子に乗ってました。自慢気になって広げた大風呂敷をたたむ時、自分の未熟さにめちゃくちゃ凹みました。)※2026年8月の話しです。
普通なら絶望する局面です。
しかし、立て直しに集中したことで、僕たちの本質が見えてきました。
「俺たち(ttt)の本当の強みは、この泥臭いリアルの現場にある」
事業計画を「AIプラットフォーム・コンサル」から「リアルな介護業界の再編(新設&M&A)とアップデート」へと舵を切り直し、泥臭く仲間集めに奔走した結果――
今、tttには「信じられないくらい優秀で熱い仲間」が全国から続々と集まってきています。
A:誰かが敷いたレールの上で、波風立てずに終わる10年。
B:壁にぶつかり、泥をすすりながらも仲間と壁をぶち破り、振り返ったときに「あの時はヤバかったよね!」と笑い合える3年。
どちらが、あなたの人生の「物語」として誇らしいでしょうか?
誇れるほどの、人生物語を共に創ろう
tttには、完成された大企業のぬるま湯はありません。
失敗を責めず、年間約1億円をAIや人の育成に投じる「安心して挑戦できる環境」は整えています。
……と言いたいところですが、冒頭で伝えた通り、僕は「環境に期待して、誰かに育ててもらおうとする受け身な人間」が昔から好きではありません。
僕自身、人生で一番面白かったのは、誰かが用意してくれた綺麗な環境ではなく、「何もない、むしろマイナスの状態から、自分の手で環境を創り出した瞬間」でした。
つまり、tttにあるのは、「極端な環境」と「極端な投資」です。
いま、僕たちは売上約47億円・21施設・850名規模から、2032年売上100億円企業へ向けて突き進んでいます。
目指しているのは、介護を社会の「重い課題」から人生の「楽しみと希望」へと変える「介護ゼロ計画」。人類未踏の社会構造改革です。
大企業のような安泰な椅子はありません。現場にはまだまだ泥臭い課題が山積みです。
けれど、他人の評価や自分の市場価値ばかり気にしていた小さな自分を脱ぎ捨て、「誰かのために本気で立ち向かう熱狂」がここにはあります。
いつの日か、私たちが日本の介護の景色をガラリと変えたとき。
「あの伝説の始まりの場所に、自分はいたんだ(ドラマがあった)」と、一緒に胸を張って自慢してみませんか?
あなたの「ドラマのような人生」の第2章を、tttで始めましょう。
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